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日本最初の民法は、フランスのナポレオン法典にならったものであり、明治後半の改正時には、これをドイツ民法型に切り替えている。
刑法も、フランス人のボアソナードの手になるフランス式のものであった。
戦後、アメリカ法の影響を部分的に受けて、裁判法や民法の親族・相続などがコモンロー型に変ったが、基本はやはり大陸法が維持された。
このことは、結果として日本が変化に対して比較的硬直的になる端緒を開いたように思われる。
だからと言って、「コモンロー」の法体系にしようなどと非現実的なことを言うつもりはないし、大陸法の伝統が変化に鈍いということが論理的に言えるわけでもない。
むしろ、日本の問題は、法定化が常にトップ・ダウンで進むために柔軟性を失っているという点にあるのであろう。
いずれにせよ、ここでは、変化に対する柔軟性という点について、厳格な法定化を好む日本と「コモンロー」の英国がどれほど違うかということを、日英両国の役人の職場風景に関する次のような例を挙げて考えてみるのもよいであろう。
日本の役人の机には必ずと言っていいほど、通商六法や金融六法であるとか、社会福祉六法であるとか、それぞれの仕事内容に関係した法令を集めた法令集が置いてあり、日本の役人は、何をする場合でも、先ずこの法令集に相談する。
その一群の法令集で答えを見つけられなければ最後は憲法と相談する。
必然的に、日本の役人は、法科出身のものが多くなる。
ところが、英国の役人の机には六法全書のような法令集は必携ではない。
もちろん、仕事によっては法令集をめくる必要がある場合もあるであろうが、全ての前提となるわけではない。
ここで言いたいことは、日本の法体系の中に、変化に柔軟に対応するための何らかの道具が埋め込まれる必要があるのではないかということである。
全ての変化を法律の制定や改正に頼っていては、いかに優秀な政治家と国会を日本が擁していたとしても、これ迄以上に変化の激しい時代になると予想される21世紀の社会に対応していくことは難しいかもしれない。
この点は、金融の世界で最も顕著なのではなかろうか。
日々高度化する金融技術に的確に対応するためには、法律だけでは不可能である。
この点でも、方法は異なるものの、英国は極めて柔軟である。
英国の金融規制・監督は、大蔵省による基本法律、制度の立案を土台に、それ以外の部分については、金融サービス委員会が定めるルールを通じて行われる。
このルールはもちろん議会の法律ではなく、比較的柔軟に変化に対応できるという利点がある上、法的拘束力も与えられている。
言わば、「変化の速さ」と「法律」とのギャップを埋める役割を果たしていると言える。
「行政指導」や「通達」という言葉には、高圧的で不誠実な印象が拭えないが、これらが問題とされたのは、その「裁量性」や「不透明性」の所以であったことを考えると、「透明性」や「公正性」を担保しながら、「世の中の変化の速さ」と「法律」との間のギャップを埋める新たな仕組みが成り立たないか考えてみる努力も必要であろう。
話は脇にそれるが、細かな「事前計画」を好む我々の発想にも、今後は変更が必要であるように思われる。
英国人の友人達を見ていると、出張であれ旅行であれ、事前にスケジュールをかっちりと決めるということを好まず、その場その場で最善の方法を選ぶことに徹している印象がある。
日本の「御一行行程表」なるものに馴れている私などには、英国の柔軟性を思い知らされるものであった。
日本の細かい計画性と表裏一体なのが、理念のなさである。
繰り返し述べてきたように、英国には、計画性は欠けているが理念がしっかりとある。
S政権のビッグバンや国営企業の民営化の例などを挙げたが、どちらも案外行き当たりばったりの感が強い。
計画性があるように見えるのは、我々が5年後、10年後になって振り返って見ているからにすぎない。
ところが英国には、行き当たりばったりの政策を繋ぐ理念だけはしっかりとある。
つまり、行き当たりばったりの政策が取られた後、どのような生活、社会、国家が現れてくるのかについての、それなりの姿が示されているのである。
S政権の場合は、S首相自身が認めているように、19世紀後半B女王時代のグラッドストーン的「自由主義」の再現というのが、その理念であろう。
つまり、「人々は、他人に迷惑をかけない限り、自らが正しいと思う信念に従って、自らの生活を進める自由を与えられるべきである」「政府が人々に何をすべきか指示することはできない」ということである。
その理念を体現する「競争」「市場原理」「起業家精神の発揮」といった指針が実に明確で、「自分の足で歩きなさい」「助けてくれる社会がいつもそこにあるわけではありませんよ」ということがはっきりと伝えられていた。
だからこそ、ビッグバン自体は場当たり的ではあったが、「競争」「市場原理」あるいは「起業家精神の発揮」という指針の中に組み込まれた上で、企業経営の変革に結びついていった。
つまり、ビッグバンを通じて、企業は、従来の規模を追求する経営から、利益力を高める経営へとシフトしていくという、大きな広がりを見せていくことになる。
また、国営企業の民営化は、偶然的側面はあるものの、個人株主の増加、資本市場の発展を促進し、S政権の理念の中に見事に組み込まれていった。
結果として、場当たり的政策が、明確な理念と指針によって繋がれ、後になって糸をときほぐしていくと、「競争」「市場原理」あるいは「起業家精神の発揮」といった理念の赤い太い糸が現れることになった。
理念が確立しているから、ある政策が予想外の事態を引き起こしても、大筋で理念に合致している限り、その政策は受け入れられるという柔軟性も生んだ。
ところで、S政権、現在の英国の経済、社会の基礎を成し、英国の人達にはすっかり肌身に染み込んだものとなっている、この「自由主義的感覚」は、英国から多くを学ぼうとしている我々が理解しておく必要のあるものであるにもかかわらず、我々日本人には感覚としてなかなかフィットしない部分でもある。
例えば、日本では、最近、年功序列から能力に応じた昇進・昇格システムへの移行、能力給や年俸制の導入、人事部による人事の一元管理から公募・応募制への移行といった、英国では「官」「民」を問わず広く定着していることが議論され始めている。
日本における議論のキーワードは、「競争」である。
ところが、英国では、キーワードは、むしろ、「自由」と「選択」である。
私が日本に帰国することが決まった際、役所を含め多くのイギリス人の友人から「次は何の仕事をするのか。
どの部署で働くのか」と質問された。
「いや、まだ、辞令が出ていない。
日本に帰ってみないと分からない」と答えると、日本のシステムに馴染みのない人々はそろってキョトンとした顔をする。
理解できないらしい。
ある友人は、「ところで、選択の自由もなく、仕事を割り当てられて、失敗したら、だれが責任を取るのかね」と真剣な眼差しで尋ねてきた。
つまり、彼等のここでの「自由主義的感覚」というのはこうである。
「どんな内容の仕事をどのような条件(給料や休暇日数)でするかは、(その選択が常に実現するとは限らないが)個人の選択の自由に任されるべきである。
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